きらっせネット歴史館


源義経と銚子


現在猿田駅東踏切あたりの海上川

犬吠・・義経主従が奥州藤原氏へ落ち延びる際、残した愛犬が主君を慕い吠えた
君ヶ浜・・さらに昔は霧ヶ浜と呼ばれていたが義経にちなみ君ヶ浜と言い改めた
千騎ヶ岩・・義経の旗下千騎を隠したとされる島
犬若・・鳴いていた犬が8日目には沖に向かって吠える犬の形の岩になっていたその岩を犬岩と呼んで、その横の岩を若岩と呼んでいて併せて犬若。
宝満・・義経の「九郎判官」の判官が訛って「ほーまん」に
倉橋・・海上町の倉橋は義経たちの前に川が立ちはだかっていたおり、平時忠が馬の鞍を橋の変わりにして渡したという伝から鞍橋から倉橋へ
借用証文・・銚子松本町の民家に伊予守源義経、武蔵坊弁慶の名で借用証文あり
時忠天神・・海上町倉橋にあり。

上記のように様々な言い伝えがあるが、当時源頼朝と対立していた義経は頼朝の忠臣である千葉氏並びに一族東氏、海上氏の領地を通るだろうか?
一説によれば現飯岡町刑部岬佐貫城の片岡常春のもとへ身を寄せるためともいわれている。この常春は壇ノ浦の戦い時には義経の四天王となり活躍した人物であったが舅の佐竹義政が平家に味方したことから一味と見られ佐貫城に身を寄せていたらしい。
また、平時忠は平清盛の妻の兄で平家ながら壇ノ浦の戦いで敗れ義経にすがり、助命を乞うた人物。その後娘を義経に嫁がせた。このことは滅亡寸前の平家一門と縁戚を結ぶことで鎌倉(頼朝)との対立をいっそう深める結果を招いたと思われる。この平時忠は「命あらばまたも渡らん下総の海上川(写真上)の笹曲げの橋(写真下)」という歌を残している。現在笹曲げの橋は笹巻橋として猿田神社東の踏み切り近辺に存在する。時忠は猿田、倉橋近辺で生涯を閉じ、時忠天神として祀られている。上記の場所、言い伝えなどいろいろとあるがどれも決定的な証拠にはならず、全国のほかの地区に点在する「義経伝説」と一線を画すことは出来ない。あくまでも「いいつたえ」なのである。


海上川です。草だらけ^_^;


笹曲げの橋・・現在笹巻橋(猿田駅東踏切近く)


海上町倉橋の天神社案内。平時忠の文字が見えますか?


銚子の千騎ヶ岩です。ここに千騎隠れるかなぁ?