きらっせネット歴史館


東庄町の古社。式年大神幸祭は20年に一度のスペシャルイベント!

国道356号、JR下総橘駅信号を南西へ3kmにある古社。社伝によると創建当時は、東宮、八尾社と称したが、康和4年(1102)朝廷から郷社玉子大明神の号を受け、爾来オオジン様とも親しみ呼ばれている。日本武尊の死後、景行12天皇は皇子の歴戦の跡を行幸され、当社の裏の白幡の地に船で着き滞在7日の間に東海の鎮護として一社を営まれたのが創始と伝えられている。 例祭は堀川天皇康和4年、海上郡高見浦(現在の銚子市外川町あたり)の海上が荒れに荒れ治まらず、為、当時海上郡総社であった東宮に宣旨があり、臨時の祭礼を行ったところ海は治まり陸上は大豊作になったと伝えられ、この日が4月8日であることからこの日に行われている。 銚子への御神幸は毎年8度行われたが、10回目からは20年毎に銚子までの大神幸、その間、2年毎に利根川河畔の桜井の里での小神幸の制に改められて現在に至っている。(さくらい御幸)大神幸には氏子の中のいくつかの区が様々の芸能を奉仕しながら供承する。銚子市桜井町の利根川へのお浜降りである。 銚子では大神幸祭を何回拝んだかを長生きの尺度としてオオジン様のオオミユキと呼んで心待ちにしている。
この東大社の一番大きなイベントは一生に数回しか見れない満20年ごとに行われる式年大神幸祭です。4月8日の朝に神輿の出御に始まり、銚子市桜井町までは2年に一度の桜井御幸とほぼ同じに執り行われているが『露払い』として海上町倉橋地区の人々による『弥勒三番叟』(県指定無形文化財)を演じつつ先頭を、また銚子市諸持地区では『剣舞 赤穂浪士』さらに石出地区では『芸座手踊り』羽計地区の『大名行列』今泉地区の『芸座手踊り』谷津地区の『剣舞』など付近の地区は総出で進みます。時を同じくして海上町の雷神社、小見川町の豊玉姫神社と3社合わせて御神幸することになっています。すなわち、銚子、海上、東庄、小見川で起こる20年に一度の大イベントとなる。右の写真は東大社本殿前にある神輿安置場所です。このエリアでは一番重いという噂があります。
その重い神輿をそれぞれの地区が引き継ぎながら銚子市外川までの約20キロを行列します。
昭和25年時の神輿の道順は宮原ー笹本ー森戸ー冨川ー忍ー塚本ー小船木ー野尻ー高田ー芦崎ー余山ー四日市場ー柴崎(八幡神社)−垣根ー松岸ー長塚ー本城ー松本ー唐子ー三軒町ー若宮ー西芝ー妙見ー南小川町ー小畑ー西町ー外川浦ー高神・・・・馬場町飯沼郷ー新生観音前となっていて、それぞれの地区では『関所』が出来て行列を迎える。殿様、家老、使者、使者受け、門番などをそれぞれの地区で人選し、数ヶ月前から準備する。神輿は高神に着くと渡海神社渡海神社に御駐泊し、明日に外川の海中に渡御する、その姿は圧巻だそうです。ただ、人手不足や諸事情で昭和45年からは自動車に乗せての御幸となっている。また東大社では春(4月8日隔年ごとに桜井御幸)と秋に例祭(10月19,20日が催されている秋季の例祭では『流鏑馬(やぶさめ)』が行われる。それぞれの地区から的が用意され、射手(神職)が射る。近年は馬の減少によって地上から矢を射ている左の写真には撮影者の私の姿が『霊』のように写ってしまいました^_^;