きらっせネット歴史館


銚子市内にある悲しい伝説のある神社。

歩幅に合わない階段を上がる川口神社。銚子市川口町の松に囲まれた丘の上にあるこの神社は銚子大漁節にも出てくる漁師の守り神。一説には986年創建と伝えられ、速秋津姫(はやあきつひめ)を祀っています。入母屋造り瓦葺の社殿。明治3年までは白紙明神と呼ばれていた。この白紙という名前は悲しい物語に由来するようです。銚子近在の娘に延命姫という娘がいた。非常に醜いむすめだったそうな。陰陽師の安部清明と夫婦になったが清明は姫を嫌って長者の家を逃げ出し、飯岡上永井村の向後主水宅の大仏壇の中に隠れた。追いかけてきた姫は主水に「清明はいない」と断られた。屏風ヶ浦西端近い通連洞(銚子市、飯岡町)に行ってみると清明の脱ぎ捨てた衣類などがあったため、姫も間違えて身を投げて死んだ。川口に流れ着いた姫の歯や櫛をこの岡に埋め祠を建てた。だから白紙(歯櫛)神社なのだという。川口神社←白神明神←白紙神社←歯櫛明神と4度の名前換えがあったようです。
現在では漁業者の信仰が厚い。
安部清明の伝説に関して言えば、この御話しの信憑性は非常に高い。これは晴明が銚子にやってきた際に宿泊したとされる家が分かっている。
初めは下総国小南村(香取郡東庄町小南)の笹本太夫三、次に笹本の紹介で海上郡三宅郷垣根村(銚子市垣根)の長者・根本右兵衛義貞に匿われていたと言う。上記の延命姫はその子供である。清明ゆかりの場所はほかに下記に記す。清明稲荷大明神、清明堂(銚子市親田町)があります。

清明稲荷大明神もあります。銚子市陣屋町。「明和元年(1764)旧暦9月13日飯沼村森田家により建立され今日まで二百二十五年間庇護されてまいりました。昭和初期に森田安次郎に庇護されていたが、太平洋戦争の昭和十年七月十九日の銚子大空襲にて爆死をされました。その後請負師田中川八千代の庇護から現在の堂四十神社に引越れ現在に至っている。」(稲荷横案内より)
「♪九つとせ この浦守る川口の 
 明神御利益あらわせる この大漁船」

と大漁節の中の歌詞にも出てくる。毎月12日に大漁と海に出た男達の安全を祈願する「明神講」(みょうじんこう)が開かれる。
参道には吉田松陰にまつわる「松陰先生 曽遊之地」の碑があります。吉田松陰は1852年(嘉永5年)1月に来銚して「銚子港」と題する漢詩を詠んだ。
JR銚子駅から千葉交通バス川口・黒生・ポートセンター行き「明神下」下車徒歩3分