きらっせネット歴史館


神栖町の古社。東国3社のひとつに数えられる。

息栖神社は国道356号より小見川大橋、息栖大橋を渡り常陸利根川沿いの旧道を北上1km進んだところにあります。 岐神くなどのかみ) 天鳥船神(あめのとりふねのかみ) 住吉三神(上筒男神、中筒男神、底筒男神)を祀る。岐神は東国開拓の折に、出雲の国から武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)を先導した神様。天鳥船神は国譲りのさい、武甕槌大神 を出雲の国に先導した神様です。「東国三社」の一社という由緒ある神社ですが、鹿島神宮、香取神宮は知っていても、息栖神社をご存知の人は、あまりいらっしゃらないのでは…?「東国三社 息栖神社略記」には古代、和銅年間(708〜715)の鹿島地方は、鹿島丘陵の南は現在の鹿島市国末で終り、それからは大昔に沖洲であったものが、陸地続きとなり、下総(千葉県北部)の海上郡から一里を割いて香島郡に編入され、軽野郷、中島郷(息栖)、幡麻郷、松浦郷などの集落が出来て、一段と低く南へ延びていたことがわかる。 
息栖神社は、このような沖洲の集落の中に、応神天皇の御代三月、今の神栖町日川に鎮祭され、大同二年(807)四月十三日、右大臣 藤原内麿の命により現在地に遷されたと伝承されている。岐神(くなどのかみ)を含め五柱の神を祀る事から、古くは息栖五所明神とも称され、また鹿島神宮、香取神宮と共に「東国三社」と崇められる。史書『三代実録』にある「仁和元年(885)三月十日乙丑條、授 常陸国 正六位上 於岐都説(おきつす)神 従五位下」の於岐都説神とは息栖神社の事とされている。大同2年4月、数キロ下流の日川地区より息栖神社がこの地に移された際、神を慕い男瓶女瓶は三日三晩哭きつづけ、ついには自力で川を遡りこの息栖の一の鳥居の下に据え付いたという。この地に定着した後も男瓶・女瓶は日川を恋しがり泣いたという。日川地区には瓶の泣き声「ぼうぼう川」と別れを惜しんで名づけた「瓶立ち川」の地名が今も残る。

地名の息栖とは河口の洲ができる・顕れる「興る・おきす」、洲が息をするように顕れ消える「息する・いきす」などがある。この息栖から晴れた日にはくっきりと見える「筑波山」は霞ヶ浦が海続きだった頃、麓まで波がよせていたからという

社前の常陸利根川の川岸には、日本三霊泉の一つ忍潮井(おしおい)があって、いにしえの井戸の雰囲気は・・・ご自分で確かめてみては??また息栖神社は、香取神宮から、正確に東に位置していることがあるホームページに紹介されていました。香取神宮の座標が「北緯35°52′58″、東経140°31′55″」に対し、息栖神社は「北緯35°52′57″、 東経140°37′41″」、わずか1秒。もう一度自宅の地図で確認してみてください。地元の人でも知っている人は少ないはずです。

利根川から向かって2本の鳥居をくぐる。川からの参堂のように見える。